DICK BREWER SURFBOARDS

近代サーフボードの歴史といっても過言ではない『DICK BREWER Surfboards』

DICK BREWER SURFBOARDS
伝統と最先端の融合が革新的な サーフボードブランド。
それが ディックブリューワーサーフボードである。

近代サーフィン史を語るとき、シェイパーで必ずや名前が挙がるのがディック・ブリューワーだ。

彼が創造したその革新的なボードデザインは 現代ボードデザインの礎となっており、
現在活躍する世界中のシェイパーたちは少なからず彼の影響を受けているはずなのだ。

50年以上のシェイプ歴を持ち、今もなおシェイプを続けている彼にボードを依頼するトッププロは後を絶たない。

そして、ここ日本に置いても 彼の経験から生まれ、培われた技術とDNAは
長沼一仁、下重正則、シェイパー陣に受け継がれ、伝統と最先端を融合させたジャパン・メイドのサーフボードを生み出し続けている。

日本のシーンにおいては 幅広い世代のRIDERをもち
彼らのフィードバックから、新たなるマテリアル、デザインがアップデートされていくのだ。

常に 変化し続けるサーフィンの世界において 
よりハイクオリティーで 独創性豊かなサーフボードを生み出していく事こそ
Dick Brewerの目指すものなのです。

その先に見えるのは ユーザーの笑顔であると信じて・・・

SHAPERS

DICK BREWERディック・ブリューワー

近代サーフボードデザイン史に必ず名前が挙がる"MASTER OF SHAPER"

1936年カリフォルニア生まれ、16才でサーフィンを始める。

1958年に初めてシェイプし、1961年にBREWER SUFBOARDSをハワイでスタートさせる。
そして一気にBREWERブランドは圧倒的な支持を受けるのである。

1962年のマカハ・インターナショナルでは大会参加者の50%がブルーワーサーブボードでエントリーしていた。

1964年に現在のベースであるカウアイ島に渡る。1965年、栄光の大会デューク・カモナハク・インビテーショナルでジェフ・ハックマンがBREWERの板に乗って優勝する。
以降ブルーワーブランドとそのシェイプは黄金時代を築いていった。

彼がブランドを創設しておよそ40年が経過し 2000年代、未だ記憶に新しいワイメアでの
”エディ・アイカウ・メモリアル”
狂気のチャージとピンホールでの歴史に残るパフォーマンスで その栄冠と全世界からの
リスペクトを掴み取ったブルース・アイアン

そして 2011年11月11日

ポルトガルで新たなギネス記録である 90フィートの波を メイクした
ハワイのBIG WAVE SURFERであるギャレット・マクナマラ

彼らが命を預けたサーフボードはBREWER SURFBOARDSであった。

BREWERのストーリーは 豊富で全てを説明するには時間と スペースを要すものであるほど壮大で、サーフィン史において もっとも影響を与えたサーファーでありシェーパーである。

すでに80歳を超えた今もなお 世界中のトップライダーから オーダー依頼が途切れる事はない。

NAGANUMA KAZUHITO長沼 一仁

サーフシェイパーとして…サーファーとして…日本サーフィン界の礎を築いたレジェンド

日本サーフィン界のパイオニアの一人であり、
創世記からの歴史を全てシーンの中心で見続けてきた長沼一仁。

1973年に”MASTER OF SHAPER”ディック・ブルーワーと出会い、日本での『BREWER』
の展開をスタートさせた。

ディック・ブルーワーから伝授されたシェイプ・スキルと哲学を元に、

日本の波に合わせたボード作りをコンセプトに自らのシェイプスタイルを確立させる。

そのライフスタイルは多くのフォロワーを生み、現在も師であるディック・ブルーワーの意志を
ライダーやシェイパー、ユーザーに伝えるべく活動している。

SHIMOJU MASANORI下重 正則

全てのサーフボードに「魂」を込める職人気質

シェイパーとしてのキャリアを1975年にスタートさせた下重正則。
“MASTER OF SHAPER”ディック・ブルーワー、そして日本サーフィン界のパイオニアの一人である長沼一仁に師事し、その技術と魂を継ぐ者として現在までに20,000本以上のサーフボードを創りだしてきた。
その歴史のなかでは、JPSAグランドチャンピオンや世界選手権日本代表選手など多くのエリートサーファーを輩出。

彼の創りだすサーフボードにはハワイやアメリカ、そしてオーストラリアなど世界各地での経験、ベテランシェイパーならではのスキル、そして魂が込められている。

彼が最も重要視しているのが、この「魂」の部分であり1本1本に全力を注ぎ妥協を許さない。

今日もまた彼の分身ともいえるサーフボードが世に送り出されている。

今もサーフィンを心から愛し、波のある日はほぼ必ずホームポイントである鎌倉で彼の姿を見ることができる。

目指すは世界で一番サーフィンをするシェイパーだ。

SHOEZY

サーフボードファクトリーでのキャリアをスタートさせて、
25年以上が経ち、手がけたサーフボードは、現在までに2万本以上。

様々なボードから、サーフボードに関する知識を蓄積してきた。
サーフィン好きがこうじて、常にサーフボードデザインを研究していた。
波があれば鎌倉の海で必ず姿を見る事ができ、波がなければ朝から夜中までファクトリーでサーフボードを触るという毎日。